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我が家の歴史 
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「我が家の歴史」
明治時代に西村定中という武士がいました。
私の曽祖父になります。
彼を中心として我が家に関連する人物・事柄・場所を訪ねて行きたいと思いました。
その記録としてこのブログを立ち上げました。

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タイトル 日 時
明治時代のエンターテイメント仕掛人 興行師 野呂藤助と辰之助親子
明治時代のエンターテイメント仕掛人 興行師 野呂藤助と辰之助親子 日本一の興行師と呼ばれた男 野呂藤助 ...続きを見る

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2016/03/16 16:51
定中遺物 『急就章』 について
定中遺物 『急就章』 について 西村定中の遺物の中に一冊の和本が残されています。 それには定中の自筆で本についての由来が書き付けてあり、当家に伝わった経緯を伺えるものです。 まず『急就章』とは、中国は三国志の時代「呉」の皇象(おうしょう)の作と云われ、「漢」の時代に学童が文字を覚えるために作られた古字書とされ、日用語を生命・衣服・飲食などに分類して、暗唱しやすいように三言または七言の句でつづられた韻文です。 さて、我が国へは奈良時代には伝わっていたようで弘法大師真蹟の『彩絹墨書急就章(附 護持院隆光記1巻・南谷筆急就篇加... ...続きを見る

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2015/02/04 17:06
江戸七宝 平塚茂兵衛
江戸七宝 平塚茂兵衛 明治から昭和にかけて蜻蛉子と號する江戸七宝焼きの名工がいます。 彼の手になる七宝焼きは『透明七宝』と称され、国内外に高く評価されたと伝えられています。 ...続きを見る

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2014/10/23 17:20
柔術家 大竹森吉
柔術家 大竹森吉 柔術家 大竹森吉 ...続きを見る

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2014/07/02 21:50
伊能一雲・伊能矢柄について
伊能一雲・伊能矢柄について 請西藩林家の槍術指南役に伊能一雲・伊能矢柄親子の名前が記録に残されています。 伊能一雲(惣右衛門)由虎(1777〜1854)は、宝蔵院槍術伊能派を称えた槍術家で、牛込筑土五軒町に道場を開き、旗本や諸家の家臣を多く門弟にしていました。 初代貝淵藩藩主林忠英に槍術指南として仕えました。 清水礫洲著の『ありやなしや』では、「牛込築土明神下伊能惣右衛門(後一雲斎。始永見氏の家来、後浪人、後林肥後守家来となれり)宝蔵院流槍術、愛洲影流剣術を教ゆ。はやく槍の相面の試合をなせり。御旗本に数百... ...続きを見る

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2013/09/11 23:19
本郷に「三吉園」という商家があった  調査報告
本郷に「三吉園」という商家があった  調査報告  前回、『本郷に「三吉園」という商家があった』をブログに掲載致しました。    ブログには、「三吉園」の当主が杉浦善助と云う人物であり、明治から昭和初期まで茶商として店舗を本郷一丁目三番地に構えていたことなど亡父から伝え聞いたことを書きこみました。  「三吉園」についての情報が何かないかと、国会図書館のアーカイブで明治期の東京の商家について情報を集め、間違いなく本郷の地に「三吉園」が存在していたことが判明致しました。  その時点では、杉浦家についての父の兄弟以外の親類の情報はなく... ...続きを見る

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2013/03/23 21:14
大野家について
「我が家の歴史」を調べる上で、重要な一族があります。 その家が大野家です。 ...続きを見る

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2012/10/31 00:40
本郷に三吉園という商家があった
本郷に三吉園という商家があった                                                                杉浦大輔画 ...続きを見る

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2012/05/22 23:29
細川春流について
細川春流について 西村定中の遺物の「短冊」より、「細川春流」という人物が特定できました。 裏書きには、会津藩の人物で号が【春流】歌人として著名とあり、これを手掛かりとして調べてみました。 ...続きを見る

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2012/05/19 20:07
原時行について
原時行について  西村定中の遺物から多数の「短冊」が出てきました。  その内容は、西村家の先祖のもの、高木家の殿様のもの、幕末期の志士のものです。   特に幕末期の志士のものについては、わずかですが「裏書き」されているものもあり人物を探ることが出来ます。  また、名や雅号が入っているものもあり定中の交友関係を探る資料になると考えています。  しかしながら不勉強のため文字が読めず、和歌の内容はわかりません。  また、名や雅号から人物を調べていますが確実に断定することは出来ていない状況です。  ... ...続きを見る

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2012/05/19 19:42
伊藤櫟堂について
伊藤櫟堂について  伊藤櫟堂(伊藤信行)は、伊藤晴雨の実弟であり西村定中の甥にあたる人物です。 家業である彫刻金工の業のかたわら民俗、考古、万葉の学もって野に遺賢在りと称されたといいます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 3

2012/05/19 19:26
伊藤晴雨について
伊藤晴雨について 昭和36年1月28日、伊藤晴雨は78年の生涯を閉じました。 生前晴雨は、「責め絵師」として一部の人の間で著名な存在で、反社会的な嗜好によりアウトローとして評価された人物でした。  このブログで伊藤晴雨を取り上げるのは、晴雨の実母が西村定中の妹乕(とら)であったことによります。  乕は、安政2年河内国丹南藩家老西村駒平定保の次女として生まれました。兄定中とは9才年下の妹となります。父定保は、万延元年に死去し、兄定中が跡目を相続いたしました。当時の西村家には、実母の壽目、叔母の菊、姉の千勢... ...続きを見る

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2012/04/22 00:42
先祖の調査をしました。
西村定中の実母壽目の妹で西村菊という女性がいました。定中の備忘録を調べたところ明治18年3月20日に発病、翌19年1月6日に病没とあり、浅草の念佛院に埋葬したとの記述がありました。先日、念佛院を訪ね西村菊についてお尋ねしましたが、すでに墓石はありませんでした。しかし、ご住職がわざわざ過去帳を調べていただき西村定中の名と菊の戒名を見つけてくださり、そこには、西光院芳貞菊壽大姉(橋本禎次郎引き受け)と記されていました。念佛院は、旗本橋本大炊頭家の菩提寺で、橋本禎次郎は幕末期の当主橋本六之助の次男です... ...続きを見る

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2012/04/06 23:05
西村定中の遺物の整理をしています。
西村定中の遺物の整理をしています。 我が家に先祖の遺物が少し残っています。 主に西村定中が残したもので江戸後期から幕末のものが中心です。 学術的な調査はしたことがなく、私自身も若い時はそれほど興味がなかったこともあり、手つかずでした。ブログを始めた切っ掛けでもある「我が家の歴史」を子供たちに残すためにも、きちんと整理することが必要と思い少しづつ始めております。 ブログ上に.公開し、皆さんの知恵をお借りできればと思います。 今回、公開したものは、河内国丹南藩高木家10代高木正剛公(安永2年2月23日(1773年3月15日... ...続きを見る

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2012/03/31 23:29
最後の志士 西村定中
最後の志士 西村定中  幕末の動乱期、勤王の志士として活動し、明治維新後は柔術家として市井に棲みひっそりと去った人物がいます。 彼の名は、西村定中伴久敬。 弘化3年(1848年)河内国丹南藩高木家の家老西村定保(改久富)と妻壽の長男として青山の高木家下屋敷に生まれました。幼名は継太郎。 若年より柔術・剣術などの修業を積み、特に柔術では沼津藩の柔術指南役である戸塚派楊心流戸塚彦助の指導を受けたと伝えられ、元治元年(1864年)には中免許を授けられています。残されている『戸塚派揚心流初傳』には、楊心流の... ...続きを見る

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2012/03/27 21:45
戸塚派楊心流(揚心古流)について
戸塚派楊心流(揚心古流)について 戸塚派揚心流(揚心古流)について 2012.03.10 ...続きを見る

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2012/03/11 01:11
ブログを始めました。
ブログを始めました。 はじめまして 今日からブログを始めます。 ...続きを見る

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2011/11/29 23:15

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