我が家の歴史 

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zoom RSS 伊藤晴雨について

<<   作成日時 : 2012/04/22 00:42   >>

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昭和36年1月28日、伊藤晴雨は78年の生涯を閉じました。
生前晴雨は、「責め絵師」として一部の人の間で著名な存在で、反社会的な嗜好によりアウトローとして評価された人物でした。
 このブログで伊藤晴雨を取り上げるのは、晴雨の実母が西村定中の妹乕(とら)であったことによります。
 乕は、安政2年河内国丹南藩家老西村駒平定保の次女として生まれました。兄定中とは9才年下の妹となります。父定保は、万延元年に死去し、兄定中が跡目を相続いたしました。当時の西村家には、実母の壽目、叔母の菊、姉の千勢がいました。乕は、和漢の学を修め見事なお家流の書に秀でていました。武術では、小太刀、薙刀の妙手でもあったそうです。
 旗本橋本大炊頭の次男貞次郎に嫁ぎ、明治15年に長男一(のちの晴雨)が生まれます。
 貞次郎は、維新の際に屋敷を追われ、相次いで父母兄を失っています。その為、士族としての生活が送れず縁故を頼り彫金家として一家をなしていた尾崎一美に弟子入りし、彫金家としての職人の道を進んでおります。
 晴雨は、子供のころは父の仕事の傍にいて、父の鏨の動くのを見るのを不思議そうに眺めいてたそうです。後年絵師となる下地が子供の心に植え込まれたのでしょう。また、11才の時に光琳派の絵師野沢提雨に絵を習い、13才の時に象牙彫刻家内藤亀次郎へ丁稚奉公にやられています。
 その後の晴雨については、「伊藤晴雨自画自伝」(新潮社1996.12.20発行)に詳しく記されています。
 我が家に伝わる伊藤晴雨は、「責め絵師」の晴雨だけではなく「江戸と東京 風俗野史」にみられる江戸風俗の大家であり、歌舞伎や芝居における時代考証家であり、最後の浮世絵師としての晴雨でした。
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内 容 ニックネーム/日時
伊藤晴雨から検索辿り着きました。
私の祖父が伊藤晴雨の弟です。
ただ伊藤勇次郎の三男なので母親は違うようです。
父や祖父からうちは旗本の子孫と聞いていたり、家の墓のとなりに橋本の墓があり、親戚だと聞いていたのですが半信半疑でしたが本当のようですね。
伊藤勇次郎は子供の時は刀を差していたそうですよ。家の敷地から刀を持たずに凧を追って、外に出たら怒られたそうです。武士が刀を差さずに外に出るとは何事かとのことのようです。
また祖父が20代の頃に今の文京区あたりの地元新聞で働いていた頃に新聞に載せる記事や小説のような物を書いていたらしいですが、当時駒込にいた兄の晴雨のところに挿絵を書いてもらいに言った時に「おまえから金は取れねえよ」と言いながら、快く書いてくれたようです。

かーくん
2015/04/24 20:47
かーくん様 伊藤晴雨の弟が、御祖父様でいらっしゃるとのこと、コメントありがとうございます。御祖父様は、もしかして伊藤順一郎様でしょうか。父より、晴雨には、同母弟信行の他に、異母弟順一郎氏がいらしたことは聞いておりました。父は、生前順一郎氏と懇意にさせていただいていたそうです。また、旗本橋本家の勇次郎(貞次郎?)の
「凧を追っていった」逸話も聞いています。旗本橋本家について『寛政重修諸家譜』などで菩提寺が浅草清川の念仏院であることを知り、訪ねてみましたが、お墓には辿り着けませんでした。ただ、西村家と橋本家が所縁のある家であることは確認することができました。伊藤家の墓の隣に橋本家の墓があるとのことですが、やはり念仏院なのでしょうか? 櫟堂(信行)が「父の墓は谷中にある」と書いているものがありますが、やはり伊藤家の墓は谷中にあるのですか。差し支えないようでしたら御教授いただければ幸いです。一度、捜し歩きましたが見つかりませんでした。こうしてご連絡をいただき、途絶えていた縁がまた繋がることで、このプログを開設した甲斐があったと感じております。
西村定継
2015/04/24 23:12
かんえいじのお墓は鶯谷から近いですが二つのお墓は徒歩10分ほどしか離れていないです。
順一郎には母が同じ姉がいて東京大空襲で亡くなったとのことです。
また順一郎の下に腹違いの弟がいて、順一郎の葬儀で私は初めて会い。その後、法事などで1〜2回会いました。平成9年くらいに亡くなりました。
舞台だか映画だかの脚本を書く仕事をしていたようです。
私が小学生の頃に家族で墓参りに行った時に偶然に橋本家の方も来ていて、順一郎や私の父が挨拶をしていたのを見たことがあります。

かーくん
2015/04/25 02:19
父の話しではお寺の法事などで順一郎と橋本さんはよく話していたらしいです。
凧の話は昔から父がしていました。ただ私は旗本の子孫と言うのを半信半疑で聞いていたのですが、一昨日、金庫から順一郎が父貞次郎への想いを書いた巻物(手紙?)のようなものを見つけて読んでみると凧の話が書いてありました。
また戸籍もあり見ると貞次郎の所に父橋本某って書いてありましたね。

かーくん
2015/04/25 02:22
父の話しではお寺の法事などで順一郎と橋本さんはよく話していたらしいです。
凧の話は昔から父がしていました。ただ私は旗本の子孫と言うのを半信半疑で聞いていたのですが、一昨日、金庫から順一郎が父貞次郎への想いを書いた巻物(手紙?)のようなものを見つけて読んでみると凧の話が書いてありました。
また戸籍もあり見ると貞次郎の所に父橋本某って書いてありましたね。
順一郎が学校経営などで成功した後に新聞で書いた文を読むと、千住の広大な屋敷に彫金家の父が沢山弟子達を抱えていたって書いてあり、その後に当時は相続が長男がすべてするので、兄が相続したのだが没落して、傾いた家を建て直したくても、若い自分になにができるのかと途方くれていたことが書いてあったのですが、この兄って誰なんだろうか?晴雨のことなのかな?などと考えながら、まだまだ調べなければならないこともあるなと思っています。

かーくん
2015/04/25 02:24
ごめんなさい。なんか一気に書いたのが、文字数オーバーでコピーして分けてカキコミしたら、反映されるまでにタイムらぐがあって重複したりしてしまったようです。
また勇次郎と貞次郎も書き間違え&混乱していました。
記憶で書いたのでちゃんと戸籍や順一郎の文を見ながら、また書きます。
かーくん
2015/04/25 02:36
かーくん様
コメントありがとうございます。順一郎氏のことは父杉浦大輔から伺っていました。手元には1963年9月の伊藤技藝学校の第37回秋季卒業式の記念写真が残っています。そこには、なぜか中央に父が座っています。日暮里の諏訪神社の前にある御自宅も承知しています。このブログで西村を名乗っているのは、西村家の跡をとるようにと父に定継と名づけられたからで、本名は杉浦眞樹と申します。杉浦の名をお聞きになったことはありませんか。父からは、同じく縁戚につながる平塚茂氏と順一郎氏の三人でお会いしていたと聞いていました。平塚氏は、江戸七宝の三代目平塚茂兵衛のお子さんです。平塚氏のご子孫とは、今も親しくさせていただいております。「財産を相続された兄」についてですが、次兄の櫟堂信行は、昭和20年に没した際、幸夫人に残されたのは大阪の家と膨大に本だけだったと聞いていおります。ただ、晴雨もそんなに裕福だったようではなさそうですね。1996年新潮社から発行された『伊藤晴雨 自画自伝』を再読してみます。晴雨の娘の菊さんにも、父はお会いしていたようです。何度か私もお会いしました。伊藤家の皆さんとは、父の死後ご縁が切れた状態でした。この『我が家の歴史』を開設してから、縁に繋がる方々からご連絡をいただいております。これをご縁にいろいろと情報交換させてください。一度お会いする機会を作らせてください。
西村定継
2015/04/25 06:28
1963の卒業写真だとまだ私は産まれていませんね。
1971年に木造から鉄筋の建てものに替わり、一階が学校、上をマンションになっています。
私が世田谷産まれ育ちで日暮里には1987年夏から暮らしています。子供の頃は日暮里には盆暮れに祖父母に会うために来ていました。
1963の卒業写真はアルバムにあるはずですから今度見てみます。
かーくん
2015/04/26 12:12
今までは普通にカキコミしていましたが、こちらのブログに登録しました。
かーくん
2015/04/27 08:22
それと勇次郎と貞次郎について名前を私が勘違いしていたのは、橋本から養子に行った伊藤家の養父が勇次郎のようなので、名前が○次郎と似ているのもあり、あやふや覚えてしまっていたようです。
かーくん
2015/04/27 10:04
かーくんさん
勇次郎と貞次郎、面白いですね。貞次郎が養子に入った伊藤家については、なにも伝わっていません。伊藤家がどんな家柄だったのかご存知ですか?
伊藤家は、ずっーと疑問でした。
西村定継
2015/04/27 11:11
貞次郎が養子に来る以前の伊藤家については、なにも聞いたことがないです。
うちの父は橋本から貞次郎が、分家して伊藤を名乗ったと思っていたらしく、私にも昔そう説明していましたが、戸籍から元々ある伊藤家に養子に来たことが明らかですから、私も知りたいですね。
昔、先祖は旗本なら上野のしょう義隊に入らなかったのか?と父に聞いた時は、上野の前に品川で小競り合いがあって、それには参加したらしい。と言っていましたが、それが橋本家の方なのか?伊藤勇次郎なのか?貞次郎なのか?本当なのか?わかりません。
伊藤家が同じ幕臣で武士としての跡取りを橋本家から迎えたのか、明治になり彫金師の伊藤家に跡取りとして迎えられたのか、興味がありますね。祖父の貞次郎について書かれた文には、伊藤家は佐幕派だったから身分を失い、苦労して彫金家として身を起こしたみたいなことが書いてありました。
1963年9月の記念写真発見しました。確かに前列中央に体格のよい男性が写っています。お父様ですね。
順一郎とお父様の間にいるのが祖母で学校の校長をしていました。
かーくん
2015/04/28 01:29
かーくん様
おはようございます。
1963年の父です。父に連れられて、谷中をあたりを散歩した思い出があり、その際に伊藤技藝学校の前で順一郎氏について話してくれたことがあります。
橋本家について少し調べたことがあり、幕末期の当主は、橋本六之丞で禎次郎は二男でした。「禎」の字ですが、念仏院の過去帳には、この「禎」が使われていました。伊藤家を継いで「貞」の時に変えたのでしょうか。その際、伊藤家についても調べて見たのですが、旗本では確認できていません。御家人が幕臣以外だったのかもしれませんね。
西村定継
2015/04/28 08:36
谷中のあたりをお父様と歩いたのですね。
諏訪神社前の学校にも来たのですね。
平成四年以降は学校についてはおば(私の父の妹)が引きついで、西日暮里駅の方、開成の近くでやっています。
小学生の頃に祖母に連れられて、私と姉とで谷中の朝倉彫金舘に行きましたが、館長らしき方がご案内してくれて、貞次郎についても、祖母に対して「お父様の」と呼びながら話していました。私も小学低学年ではっきり内容は覚えていませんが、「ひいおじいさんあたる人は彫金の世界では有名な人なんだなあ」と館長と祖母の会話を見守っていた記憶があります。
ご存知かもしれませんが、日暮里から鶯谷方向ちょっと歩いていくと「羽二重だんご」があります。ここに伊藤晴雨が描いた当時の羽二重だんごの絵が飾られています。
羽二重だんごでは、いまはやっているかわかりませんが、20年くらい前には、東京大学所蔵の伊藤晴雨の江戸の町並みを描いた絵のコピーをご自由にお持ちください。とレジの横に置いてありました。橋本家と伊藤家が並んであるお墓は羽二重だんごから山手線の内側に入る橋を渡って墓地内に入って、すぐの所にあります。
日暮里まで来ていただければご案内します。
かーくん
2015/04/28 13:56
今回こちらのブログで信行さんのことを詳しく知りました。
1996年の本で、兄弟仲良く写っている写真は見て存在は知りましたが、当時父に聞いても「大阪に伊藤晴雨の弟がいるらしいよ」と聞いても「うん、そうらしいね。」程度の答えだったので、気になっていました。昭和20年に亡くなっていたから、父はよく知らないのでしょう。
ただ昨日改めて聞くと順一郎はよく「京都の兄貴」「京都の兄貴」と話していたようです。
「大阪なのに、なんで京都の兄貴なんだろうね。大阪と京都は近いからかもしれないけど」と笑ってました。
順一郎と晴雨も兄弟仲はとても良かったそうです。年は相当離れていますけれど。
かーくん
2015/04/28 14:52
羽二重団子には、父と一緒にお邪魔したことがあります。おそらく前代のご当主だと思いますが、父とは日暮里小学校の同級生だったそうです。晴雨の『いろは引江戸と東京風俗野史』が手元にありますが、この出版記念会かなにかで谷中あたりを歩いたのかもしれません。私は、草加に住んでおります。谷中はよく散歩に訪れるコースです。一度伊藤家のお墓を探して谷中墓地を歩き回ったことがありますが、見つけられずに天王寺墓地と聞いていたので寺務所で尋ねましたがわかりませんでした。是非、ご案内いただければと思います。信行(櫟堂)とは、戦争中父も手紙のやり取りを続けていましたが、お会いすることは叶いませんでした。しかし、奥様の幸さんとはお亡くなりになられるまで何度か大阪に家族でお邪魔しています。そのため、奥様が残されていた櫟堂の遺品を僅かばかりですが受け継いでおります。ブログに掲載しました櫟堂についての情報は、この遺品を調べた中で判明したものです。櫟堂の住所録には、著名な文人らの名前が書き記されていました。
西村定継
2015/04/28 16:27
信行さんも文化人だったんですね。
信行さんにはお子さん、子孫の方はいないのですか?祖父のアルバムには、順一郎自身が調べて書いたような、貞次郎の師匠、その師匠、そのまた師匠と五代くらいの江戸彫金師の名前と、兄弟子、弟弟子、が五人ほど、弟子が15人ほど、家系図のように書いているものが貼ってありました。その紙に晴雨、信行、○雲、と兄弟の名前も書いているのですが、○は読めないです。○雲は自分のことなんでしょうかね。
私は不定期にふらっとお墓に行くのですが、毎回迷います。必ずたどり着きますが、今年の1月に行った時には本格的迷ってしまい、管理事務所の方にいろいろ特徴をはなしたら、判明して着きました。
事務所の方が言うには、谷中霊園にはお寺の墓と、東京都の墓が混在していて名簿などを今整理している途中のようです。
その時に場所の目安となる覚え方を聞いたので、次は迷わずスムーズに行けるはずです。

かーくん
2015/04/28 20:25
仏壇の中に、順一郎が管理していた、戒名、没年月日、没年齢、俗名が書かれたものがあり、いまよく読んでみると、最初に貞次郎最後の妻らしき人物の名前、次に順一郎より4つ年上の伊藤姓の方の名前がありました。昭和20年3月10日なので東京大空襲で亡くなったと思われる。もしかしたら「財産を引きついだ兄」はこの方かもしれないですね。この方の名前はアルバムの紙には兄弟の所ではなく貞次郎の弟子のなかに後から書きたす形で書いてあるんですよね。ちなみに一つ年上の姉や、晴雨と信行のものも書いてありました。
ただ東京大空襲の前年の昭和19年には施主順一郎で貞次郎の17回忌をお寺でやった写真と記録があるのでお墓は兄達が生きているのに順一郎がすでに管理相続している状態ということになるんですよね。昭和29年には27回忌、昭和31年には33回忌、昭和35年には37回忌と貞次郎生誕百年祭を各々施主順一郎でおこなっていて写真もあります。


かーくん
2015/04/29 01:20
かーくん様
櫟堂信行ご夫妻には、お子さんはおられなかったようです。奥様の幸さんも晩年は大阪の養老院で過ごされていました。最後の私物であった夫の遺品を父に託されたそうです。遺品の住所録には与謝野鉄幹・晶子の名が記されており、その他には鈴木古拙、安田靫彦、中村岳陵らの日本画家や幸田露伴、尾上菊五郎といった多彩に人々との交流が伺えます。
西村定継
2015/04/29 18:58
西村さんにメッセージを送れないようですが、パソコンからログインしないと送れないのでしょうか?よく使い方がわかりません。ちなみにコメントは携帯から書いています。
かーくん
2015/04/29 20:43
父に聞きました。晴雨の葬儀には、順一郎、私の父、順一郎より9つ下の弟、も参列したとのことです。
晴雨の娘、菊さんに会ったのは多分その時が最後のようです。
菊さんは現在どうされているのかご存知ですか?父に聞いても、わからないとのことでした。

西村さんのお父様が学校の記念写真に写っているのが、昭和36年9月ですから、晴雨の葬儀でお会いした縁で交流が始まったのでしょうかね?それとも、もっと以前から交流があったのでしょうか?
もしかしたら、記念写真に写るくらいですから、すぐ近くの谷中の墓地にも順一郎と、いらしたことがありそうですね。
かーくん
2015/04/30 23:53
おはようございます。
晴雨の葬儀に、父は参列したと思います。
菊さんとは、父が生きていた間は何かとお付き合いしていましたが、亡くなってからは母と電話連絡くらいでした。
松戸にお住まいだったのは、憶えていますがその後の消息は存じておりません。父より高齢でしたのでご存命かどうか。父が順一郎氏といつ知り合ったのか聞いておりません。ただ、晴雨から聞いてお伺いしたのではないでしょうか。父にとって晴雨、櫟堂は、西村定中に直接繋がる一番身近な存在だったのかもしれませんね。
近々、ご都合がよろしければお会いする機会をお願いいたします。谷中にお伺いいたします。
西村定継
2015/05/01 08:43
私もぜひお会いしたいです。こちらこそよろしくお願いします。
本日、父に「菊さんとお父さんは従姉弟だよね?子供の頃から交流があったんじゃないの?」と聞くと、「菊さんは晴雨の葬儀で初めて会ったと思う。その後、会っていない」
「晴雨はよく遊びに来ていた」「上野の頃は覚えていないけど、日暮里の家になってから(昭和21年〜)」「おじいちゃん(順一郎)と飲みに来ていた」「3ヶ月に一度くらい」とのことでした。

かーくん
2015/05/01 19:20
父にはこちらのブログのことは何日か前に伝えてあり、その時にブログの存在を喜んでいたのですが、杉浦さんの名前は伝えていなかったので、本日「杉浦大輔さんって知ってる?」と聞くと、おどろき目を見開いて「あぁぁ〜懐かしい名前だ。柔道の強い人だ」「家に出入りしていた」「おじいちゃんの友達だ」「(父より)5〜6才年上だったと思う。」私が「お父さんの5〜6才上ならおじいちゃんとはだいぶ年が離れているよね?友達なの?」と聞くと、「おじいちゃんを父の様に慕っていて仲がよかったよ」「詩吟が上手かった」「遊びに来た頻度は3ヶ月に一度くらい」などの話が聞けました。
柔道、詩吟、お父様の得意なものですか?

かーくん
2015/05/01 19:25
父には、こちらのブログのことは何日か前に伝えてあり、その時にブログの存在をたいへん喜んでいたのですが、杉浦さんの名前は伝えていなかったので、本日「杉浦大輔さんって知ってる?」と聞くと、おどろき目を見開いて「あぁぁ〜懐かしい名前だ。柔道の強い人だ」「家に出入りしていた」「おじいちゃんの友達だ」「(父より)5〜6才年上だったと思う。」私が「お父さんの5〜6才上ならおじいちゃんとはだいぶ年が離れているよね?友達なの?」と聞くと、「おじいちゃんを父の様に慕っていて仲がよかったよ」「詩吟が上手かった」「遊びに来た頻度は3ヶ月に一度くらい」などの話が聞けました。
かーくん
2015/05/01 19:27
おはようございます。
父と順一郎氏の交友関係が伺えますね。父は、早くに父親と死別しているので、順一郎氏に思いを重ねていたのかもしれませんね。
急なのですが、明日谷中に行く予定です。友人が不忍ブックストリートの一箱古本市に参加しているので、顔を出します。
ご都合よろしければ、待ち合わせいたしませんか?
時間は、あわせられます。
西村定継
2015/05/02 07:49
明日、わかりました。10時に日暮里の北改札口を出て正面突き当たりの案内地図があるあたりはどうでしょうか?
昨日、カキコミ忘れましたが、お父様が順一郎宅に来ていた時期は、父が高校生くらいだったそうなので、昭和25年くらいからと思われます。
貞次郎の法要の時の写真を見ますか?お父様が写っているかもしれないですから。

かーくん
2015/05/02 10:51
承知いたしました。
よろしくお願いいたします。
西村定継
2015/05/02 10:55
おはようございます。
今、日暮里駅北口に着きした。
地図の前におります。
西村定継
2015/05/03 09:52
今、諏訪神社前の自宅に着きました。
西村さんと別れてから、しばらく歩いた所、交番の少し手前の自販機で水を買うと変な音がして「あれ?まさか?」と思い、ミルクティーを押すと出て来ました。7〜8年前にたてつづけ当たって以来の当たりが出ました。これは西村さんをお墓にご案内したから、ご先祖様からの褒美なのかもしれないですね。

かーくん
2015/05/03 14:22
初めまして。ニックネームはでらといいます。よろしくお願いします。
最近伊藤晴雨について調べていたところこのブログに行き着きました。大変興味深く拝見いたしました。
晴雨の写真は何枚か見たことあるのですがとてもよく撮れたいい写真だと思いました。この写真はどなたがお持ちのものでしょうか。
また、晴雨の略年譜を作っておりまして昭和に入ってから亡くなるまでの動きが書かれている資料は少ないので調べているところです。
もし何かご存知のことがおありでしたらお教えいただけますでしょうか。略年譜は自画自伝と風俗野史を参考に作っています。
でら
2016/06/11 20:05
はじめまして でらさん。
メッセージ、ありがとうございます。晴雨のことに興味を持っていただき、ありがとうございます。
写真の件ですが、我が家に伝わっているものです。父は、生前の晴雨や娘さんの菊さんと面識がありましたので直接写したのか、頂いたかしたのだと思います。ネガは確認していませんが。また、晴雨の略年譜は伝わっておりません。私も書籍から参考にしています。ただ、晴雨からの年賀状が何枚か残っていますので、それなりの交遊はあったようです。
西村定継
2016/06/14 14:41
西村様
ご返信ありがとうございます。
なるほど、そういう経緯なのですね。教えていただきありがとうございました。
無事年譜も完成いたしましたが、
最後に 上野の寛永寺に眠る、
というところで気になり、
お寺に問い合わせしたのですが
いまお墓の管理をされている方がわからないと見つけられない、
とのことでした。
晴雨さんのお墓にお参りに行きたい、と思っているのですが、
場所をご存知でしたら大変お手数ですが
お教えいただけますでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
でら
2016/06/29 09:24
西村様
いきなりのコメント失礼いたします
私テレビ東京のYOUは何しに日本へ?
という番組を担当しております
平石と申します。
http://www.tv-tokyo.co.jp/youhananishini_eg/
こちらの伊藤晴雨の自画像はどちらからの
お写真か伺いたくコメントさせていただきました。
いきなりで大変申し訳ないですが
お返事いただければ幸いです
よろしくお願いいたします。

平石
平石
2016/07/18 18:03
でら様
伊藤晴雨の墓所の件ですが、私も寛永寺墓地としか聞いておりません。残されていた資料を確認しましたが、詳細な場所はわかりませんでした。晴雨の実父伊藤一延の墓所は谷中墓地にありますが、そこに晴雨は葬られてはいないようです。引き続き調べてみます。判明いたしましたらブログに掲載いたします。

平石様
メッセージありがとうございます。
ブログに使用した晴雨の写真は、当家に残されたものです。ネガの有無の確認はしていませんので、出何処は不明です。父は、生前の晴雨や娘の菊さんと親類として交流がありましたので、直接頂いた写真かもしれません。また、晴雨の実弟櫟堂信行の遺品も当家に残されていますので、そちらからの物かもしれません。
西村定継
2016/07/19 10:40
西村 様

いきなりのコメントに
御丁寧にお返事いただきありがとうございました。
平石
2016/07/19 14:13
お忙しいところご連絡ありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。
西村様
2016/07/23 11:15
土井 民次郎さん多満さん子供 土井 昭子です。戦後
親とは死に別れて順一郎さんにお世話になりました。
晴雨さんの特別展はインターネットで知りましたが、
残念でした。 iiddoo9912@yahoo.co.jp
土井 隆義、菊誉です。はじめまして。
2016/10/29 01:40
土井隆義、菊譽さま メッセージありがとうございます。 伊藤順一郎さまのご子孫の方もこのブログをご覧いただいております。土井様について存知かもしれませんね。「伊藤晴雨幽霊画展」が江戸東京博物館で開催され、晴雨の画業があらためて見直されたこと嬉しく思っています。何度か足を運びましたが、多くの人が見てくださいました。
113.43.85.130
西村定継
2016/10/31 09:03

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